そぼくな日記

にっき!

容姿のコンプレックスと視力が悪いというメリット

自分は女性だけど、周囲の知人や世の女性がどうして容姿や体型をノイローゼになりそうなほど深刻に気にしているのかが分からず、どうして自分はそこまで言うほど気にならないのかなと考えた時、視力がめちゃくちゃ悪いのが救いになってるのかなという考えに至った。

 

私の視力は裸眼で0.02(もしかしたらもっと悪いかも)くらい悪くて、裸眼だと30センチ先の人の顔はもうボヤけるし、遠方の人はもはや肉塊にしか見えないので佇まいで判断するはめになる。

 

普段はメガネを掛けているのでクッキリ見えていると言えば見えているけど、メガネなしの姿を鏡で見ることはまあ無いし、お風呂場でも鏡の中の自分の姿はほぼ見えない(シャンプーとリンスの見分けも危うい)

ムダ毛を剃ろうと思っても見えないのでほどほどで諦めるし、無理に剃っても普通に負傷するので無理をする事もない。

コンタクトはワンデーのものを付けることもあるが、目がカピカピになるので月1回程度、たまーに化粧をする時くらいしか付けないので、メガネなしの顔にも慣れてない。

メガネの状態で化粧をしようと思うと一回外さなきゃいけないのでボヤボヤな状態で化粧することになり、結果的にほどほどで諦める。

これが日常なので諦めることに罪悪感もないし、まあ仕方なくね?としか思わない。

 

クッキリ見える人は、家の鏡だけでなく街のショーウインドウや誰かの車に自分が映った時まで自分の容姿が気になってしまうのではないだろうか。

なんとなーく、都会などはガラス質の物や鏡状のようなものが多い気がする。

そこに映る自分がいちいち気になり、客観的な自分を必然的に意識しすぎる状態に晒されているのでは?

 

樹木希林が盲目になった時「今まで自分は色々見えすぎていたのでこれくらいが丁度いい」みたいな事を言ってたが、見えすぎるというのは見たくないものや「そこまで見なくても別にいいもの」を見てしまうのかもしれない。

 

 

数ヶ月前のある日、私はデカめの虫と一緒に風呂に入っていたようだったが、見えていないウチはルンルンで風呂に入れた。最後まで気付きたくなかったし、最後まで気付かずにいればルンルンのまま風呂から出られたかもしれない。

だからではないけど、見えるものに少し鈍感になってもいいのでは、と思う。

コツは頭の中の妄想に夢中になる事だ。もっと推しの事とか妄想して歩いたらええと思う。