そぼくな日記

にっき!

年をとるのは罰じゃない

最近母が第2の人生をスタートし始めた。

今の仕事で定年を迎えるまだちょっと時間はあるのだが、以前からなりたかった木工職人に向けて木工技能士1級の資格を取り、1作目がいきなり市長賞を取ったり2作目も何かの1番上の賞を取ったりとめちゃくちゃすごい勢いでスタートダッシュを決めている。

だいぶ昔、たしか私が美術高校を受ける時に実は家具を作りたかったという話を聞いていたので、大長編の伏線が回収されたような気分だ。

 

娘の私はというと、正直母より先に気持ちが老後になってしまっている。自分でも早すぎると思う。

高校、大学と美術系に進み、絵の活動もそこそこやっていたし、ちゃんとしたお値段で買っていただけたりもしていたのだが、大学3年の時にサイコホラー小説みたいな展開(芥川龍之介だか直木賞だかに送りたいくらい)に巻き込まれ、最近ようやくその敵をなぎ倒したので、縁側で永遠にお茶を啜ってたいくらい疲れてしまったのだ。

 

別にサイコホラー小説みたいな人生だったからちょっとくらい休んでもいいだろという気持ちと、でもそろそろ三十路の扉が見えてきた焦りと混ぜこぜになっていた。

イッタランドなどを見ていると人生終わりだ〜ってなってる30代もよく見かけるし、20代のうちに階段を登るようにキャリアを積めなかった者は人生終了みたいな「終わりワールド」が広がっているので、ジェンガが倒れ続けている自分はもうどうにもならないのだろうかと不安になった。

 

けれどそんな時に第2の人生をスタートさせた母を見ていると、そういう不安が全部光属性のパワーみたいなもんで消し飛んでいった。

あれ?案外年をとってもどうにかなるのかも。

 

思えば私の親族(女性陣)はとてもしぶとい。

母方のおばあちゃんは、姑との同居、おじいちゃんの借金など、おばあちゃんになるまで(なってからもしばらく)かなり苦労していたが、80代の今となっては足腰強靭で友人とカラオケに行ったり人生をエンジョイしている。

父方のおばあちゃんは体が弱い方だが、生きるパワーが強く何度も死の淵から蘇り、目があまり見えないのに編み物をして服を作っている(見えてないとは思えないくらい出来がいい)。

従姉妹の母は人工透析をしなければならない病気を抱えつつも、美味しいアップルパイを焼いてお店に卸している。

 

そういった、私より年上で、結構重めの困難を抱えながらも今こうして生き生きとしている親戚の姿を見ると、年を取るって怖くないのかもしれないと思える。

 

自分自身、以前より年をとった事で利点も感じている。

昔のいや〜な記憶がめちゃくちゃ薄れているのだ。

以前は匂いすら記憶していたので、雨っぽい匂いなどを嗅ぐと具体的な嫌なシーンが思い浮かんだりしていたが、今は全部忘れた。

そして、忘れたことによりまた楽しめるようになってきたのだ。

 

また、文章を書くという行為が以前より苦ではなくなった。

文章を組み立てるのは脳にかなり負荷が掛かるので、嫌な記憶が薄れた今ではその作業も出来るようになったのかもしれない。

趣味でこうやってブログを書く気になれるほど回復した。

 

これからも年を取るたびに私は色々なことを忘れていくだろう。

忘れたあとの空白に、次は何を飾ろうか。少し楽しみになってきた。