そぼくな日記

にっき!

自分の作品が好きとか考えた事なかったけど変わりつつある

最近、自分が作った後の作品に興味が湧くようになってきた。

なんでかなっていうちょっとした分析のような、備忘録のようなもの。

 

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私はここ最近ちゃんとした絵を描いてないが、一応絵描きの端くれである。

だいたいこんな感じの絵を描いてきた。

 

アナログで一枚の絵にそこそこ時間を掛けて描いていた(すぐに集中力が切れるのでクオリティの割にやたら時間がかかる)

 

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むかしむかし、美大2年生くらいの頃だったか、後輩が「自分の作品が好き」と情熱的に話していた事がある。

それを聞いてなんかめっちゃ衝撃を受けた。

自分の作品に対して好きとかどうとか考えた事がなかったのだ。

多分一切の興味がないわけではなかったと思うのだ。題材にするテーマやモチーフに対しての愛着はあるし、制作している途中は没頭している。

 

ところが、なぜか完成後の自分の作品に対してどう接していいのかずっと分からなかった。久しぶりに親戚の子供にあったらめっちゃデカくなってて、何の話をしていいかわからない時みたいな(経験した事ないけど)そういう類に似た「扱いに困る」気持ちを感じていた。

そのせいか、作品数が溜まっていっても「この作品をこう見せたい」みたいな事を思わず、グループ展しかしてこなかった。

 

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それからなんやかんやあって大学3年生の終わり頃から修羅みたいな人生になり、先ほどのような絵が1ミリも描けなくなり、別人のようなものばかり作っていた↓

 

メンタルがヤバくて大学院を中退した後、とりあえず働いたところがブラックで踏んだり蹴ったりな状態になった。その時人生のだるさをぶつけた「だるいちゃん」というキャラクターが生まれたりした↓

 

↓修羅の時におっしりーとかいうキャラクターも生まれた

 

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全てが落ち着いた現在、不思議なことになんとなく自分の作るものが好きになってきた。自分の気持ちの変化に自分自身が一番驚いている。

なぜこんな変化が生じたのか理由を考えた時に、自己受容が関係しているような気がした。

これまでは、自分が作品を作る原動力はどちらかというと「負の感情」がきっかけだった。二次創作でない自分の作品を本格的に作り出した時は、中学時代のイジメの傷を癒したいという気持ちが隠れていた。

高校でも、大学でも、ままならない人生の壁に直面し続け、その度にこなくそと思う気持ちを作品にぶつけ、その結果なんか作品ができて、なぜかそれが売れたり賞とったりした。

 

でもそれって、ストレス発散に枕でボクシングをしていたらボクシングのプロに「筋がいいね!プロを目指さないか?」って言われちゃったようなもんだ。

自分を「ストレス発散の枕叩きボクサー」ではなく、「丁寧に枕を作る枕職人」だと勘違いしていたから上手くいかなかったのかもしれない。

丁寧に継続的に人にものを届ける事と暴の気持ちは相性が悪い。

 

ボクサーの自覚をして以降、枕ではなく問題の根源に直接ジャブし続けた。その結果、問題は爆発四散し、雨は上がり虹はかかるわ人生はバラ色。

頑張った自分を認められて自己受容できるようになり、「負の感情」ではなく「正の感情」で作品を生み出す事ができるようになった。

 

ようやく自分の生み出すものがポジティブに受け入れられるようになったので、今度こそ「丁寧に枕をつくる枕職人」として作品を生み出していきたい。

 

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枕職人としての処女作「いぎょの旅」をどうぞよろしくお願いします。